発達障害当事者はどこまで「病識」が持てるのか?

身体障害なら、見えない、聞こえない、身体の一部が欠損しているなど、自分でも理解しやすく、他者にも分かりやすいです。
その点、発達障害者は家族や他人が見ても「何の障害があるのか、教えてほしい」と本人にたずねても、なかなか答えが帰ってこない先天性の永久疾患です。

これが、知的障害や他の障害と複合障害があるなら、周囲の人も分かりやすいし、あるていど重度の方の方が社会福祉関係者もフォローしやすく、支援の仕方も考えられるというもの。

その点、総合知能指数が平均より高ければ高いほど、どんな困難を感じているのかの「病識=自分にはどんな障害があるのか」を当事者が理解しづらいのが現実です。

発達障害者は、子どもの頃から「ごく当たり前の五感、第六感、神経系統のどこかで情報の伝達がされなかったり、情報がブラックホールに呑み込まれてしまったように欠落してしまう」症状に悩まされます。

が、その状態が、なぜ、どうして起こるのかを正確に本人が自覚し、他者に説明することはとても困難です。知能がある程度高く、生育環境が整っていれば、乳幼児であっても一つずつ、問題解決の方法を身につけて行こうと、人一倍懸命に努力する傾向があるからです。

私が乳児だった時、父が1ヶ月以上出張して家を留守にしたことがありました。

顔貌認知力のとても低い私はちょうど人見知りする時期だったようで、1ヶ月で父の顔を全く忘れたようです。出張から戻った父が家に戻るたびに、まるで知らないヨソのオジさんに出会ったかのように泣き叫び、父を困らせました。
35歳でもう子は授からないと諦めた頃に生まれた一人娘の阿鼻叫喚に困った父は、会社に事情を話してできる限り定時退勤に努め、何とか自分が私の父親であることを思い出させようと、あれこれ努力をしたようです。

ところが、ある日泣き叫ぶ私をお風呂に入れることになりました。その日は母が体調不良だったのです。

抱かれて風呂に入り、父の体臭と肌に触れた途端、私は「この人、パパだ」と思い出したらしく、赤ん坊だった私はピタリと泣き叫ぶのを止めて、パパと呼んだそうです。

抱かれた赤ん坊には、抱いている人の目鼻口の位置で家族か他人かを判断するしかないです。でも、現実問題、親との相性や性格の合う、合わないなどの問題でも、似たような現象が起こる可能性はあります。

発達障害の診断が可能になってから、WAIS式知能検査で「絵の間違い探し」の知能がかなり低知能だという事が判明した時、改めて「あ~あ、だからあれも、これもそういうことだったんだ」と気づきました。

「えっ、低知能なの、私?」というショックから立ち直り、現実を受け入れるまで、数年かかりました。

学習到達度を検査する知能検査では、抜きん出て高いし、WAIS式知能検査でも、学習知能では言語、数理、論理、真理の理解などほぼ全分野で、並みの健常者より高い結果を出せたからこそ、「でも、部分的には低知能なんだ」というショックは大きかったです。
発達障害の当事者が病識を持つということは、とてつもない困難を伴います。

また、家族や教師、周囲の人々は、言語の習得のような「ひとかたまりの全分野、全方向」の習得、使用に困難があり、「5分話せば、分かる」状態ではないからこそ、「どうしてなの?」「やれば出来るでしょ?」「努力が足りないんじゃないの?」としか思えないのだと思います。

文化人類学を学んだ身として、顔貌識別能力はマカク類のサルであるニホンザルにも「まるで本能であるかのように」備わっていることを熟知しているため、「霊長類である自分の顔貌識別能力は、並みのニホンザルに劣るのかな?」と思うと、正直凹みます。

だから、発達障害者は「何に困っているんですか?」と支援者や善意の人にたずねられるのが、正直怖いです。
ちなみに、私は「人類と進化」という図鑑に小学生の時のめり込み、骨格と頭蓋骨を夏休みの自由研究で徹底的に覚えました。
結果、人の区別は骨格、頭蓋骨の形や姿勢でも可能だと知り、観察力を高めた結果、顔貌ではなく、頭蓋骨への観察力でも「この人は誰か」の識別はできるようになって行きました。

でも、顔貌識別能力が人並み以上の人のように、「テレビで見た誰か、どこかで見た誰かに、不意に街角で出くわした時の驚き」のような感情は私には全く理解不能です。

ただ、知り合いかどうかを識別し、多少芝居がかっていても相手に対する敬意を表すため、できる限りのリアクションを演じる努力はできる、が私の能力の限界だと思われます。

今まで私の顔貌識別能力の場合、についてのストーリーをご紹介しました。

発達障害は、皆さんの目に見えない当事者のいのちがけの努力で、並みのニホンザルにもできることを、日々行なっています。
そのため、日々の生活の中で精神的にも、肉体的にも過重負担がストレスになって行きます。

見えづらい障害だから、結婚、出産の可能性もあり、どんな困難を抱えているのか、他の方には分かりづらいかも知れません。

それでも、当事者は日々、困難の中を生きているのです。

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