発達障害は治癒するのか?

発達障害は、細かい成長段階、青少年期、若者期、壮年期、中年期、高齢期など、人生のさまざまな文化的、社会的、人間的ステージと置かれた場所により、現れる症状が変わって傾向があるようです。

ある症状が現れては消え、また別な症状が現れるため、あたかもある種の人々の発達障害は「治癒した」と勘違いされることがあるようです。

当然のことかも知れませんが親や教師、周囲の人々に「あれは治癒したんだ」と思いたがる傾向があることは否めません。

特に、比較的スパンの長い成長のステージ(児童期、思春期、青年期など)全般を通時的に観察するチャンスのない教師や支援者には、ある時期に「本人が対処方法を習得した」ではなく、「症状が改善した、治った」という楽観的な判定を下したり「本人にやる気がない。どうにもならない」などと過度に否定的な見解をもつ傾向があるように見受けられます。

実際には、本人の置かれた状態の変化と、本人や周囲の対処方法の習得などで症状が変わったり、落ち着いたりの繰り返しである場合が多いでしょう。

もし、政府関係者や行政機関などが発達障害への理解に著しく欠けており、「発達障害は親の家庭教育の不備に起因する」「発達障害は適切な療育によって治癒する」と誤解しているなら、政府や行政機関はその状態を是正していただきたいです。そのような医学的根拠に乏しい思い込みに基づいた政策が施行されれば、発達障害者の人権侵害はより現在よりひどくなるでしょう。

発達障害者で政治活動への一定の理解能力がある人々は、右傾化と、それによる発達障害者への差別の深刻化が職場への適応不全や職場いじめへの悩みなどで、求職困難な状況を更に悪化させていると憂いています。

発達障害児・者への差別を、「外見上、その困難が理解しがたいため」「相対的に差別があっても仕方ない」などと行政機関などの言いわけを正当化させてはならない、と考えます。

精神科医や心療内科医はその職務上、不安、不眠、心身症、頭痛、腹痛、摂食障害、各種過敏症(聴覚過敏、視覚過敏、触覚過敏、味覚過敏、嗅覚過敏など)によるパニック症状、極端な注意力欠陥障害、コミュニケーション不全による対人関係の深刻な問題や、主にいじめや過度なストレスに起因する二次障害など、「具体的なお困りごと」を本人が訴えない限り、医療の対象ではないと考えます。

本人が「具体的なお困りごと」を訴え、本人や家族が知識を広く求め、本人の自覚を促し、また自覚できる限界を家族が知ってなお、行政の社会福祉支援のハードルはとても高いのです。

日本で発達障害が診断できるようになって、およそ二十年ほどです。

つまり、現在三十代以上の発達障害者の多くは成人近く、または成人後に診断を受けています。その多くが、私と同じく、二次障害、三次障害を乗り越えて、生き延びたサバイバー達です。運良く療育を受け、福祉の恩恵にあずかり、またはそれまでいじめなどの被害を受けなかった方はごく少数派でしょう。

私も含め、サバイバー達は皆、多くの人が乗り越えられないと感じるPTSDなどを、誤診被害の確率の高い既存の医療やサプリなどを巧みに用いて、自分なりのやり方で乗り越えて来たのです。

一定年齢以上の発達障害者ほど、二次障害や三次障害を繰り返し病む確率が高いのは事実です。

例えば、発達障害の障害部位が言語能力の「書字と識字」であれば、「意味の理解、発語、聴解、読唇」に問題がなくとも、過去には「本人の努力が足りない。親の教育がなってない」に分類され、「自分はバカだから…」で全てを諦めてしまったでしょう。結果、意味の理解と発語などはある程度出来ても、ひらがなやカタカタが書けず、読めない大人に育った方もいると思います。

現在は言語能力のどこに具体的な問題があるのか、の判定が出来ます。上記の例だと、「本を読み上げる」「文字を代書する」ことや、「読み上げ機器」「音声入力機器」を用い識字能力や書字能力への療育支援を受けることで、学習能力を高め、自己実現への道が開かれる可能性も出てきました。

ですが、障害部位が多岐にわたるほど本人の困難度は増し、影響は知的能力や身体能力にも大きく影響する点が、発達障害と他の障害を持つ、複合障害児・者とその家族の苦しみでもあるようです。

みなさんが私に逢っても、どこに障害があるのかほぼ分からないでしょう。少し不安感が強そうで、気弱そうだけど、一風変わった人にしか見えないでしょう。

私個人について、申し上げましょう。私はたまたま、知的障害が「眼鼻口の位置からの顔貌個体識別能力」「絵の間違え探し」「空間認知」「軽い書字障害」「聴覚過敏」など、乳児期から困難を抱えやすい障害部位があるにも関わらず、社会生活でドテン!とつまづくようなタイミングを幸運にも避けて通れたことが多かったため、何度もつまづいたけど今までどうにか生き延びました。

そんな私の乳幼児期に両親が育児困難を感じたのは、発達障害児によく見られるコミュニケーション能力の欠如や「目を合わせようとしない」ではなく、「熱痙攣が多い」「疳の虫症状」と「左利き」でした!

家族との意思疎通、特に母親との意思疎通に殆ど問題がなかったため、「左利きを右に直そうとしたこと」「遅く生まれた子で周囲に同じ年齢の子を育てる同年輩の親がいなかった」「ちょっと変わった子」でストレスに弱いとでも思われたようです。

発達障害者として今50代になった私は「発達障害が治癒することはない」と考えます。出来ないことは、健常の後期高齢者や小学生に比べても劣っている自分を自覚しているからです。

もし障害者受容への道を歩める社会に住めるなら「困難を抱え、つまずきながらでも、医療支援、社会福祉支援があれば生きていけるかも知れない」と自分に関しては言えます。

ただ、そういう私も運のいい数%の「一部は高知能」な人間です。そうでなければ、この文章を書けないでしょう。

残りの95%以上のいま生きている仲間たちのため、誤診やホームレス化してなくなった友人たちのため、私は発達障害について書くことにしたのです。

健常者が発達障害を、盲者やろうあ者などと同じような永久疾患だとは考えづらいのでしょう。が、発達障害の当事者は生涯、何らかの困難を抱えて生きています。

つまり、発達障害そのものは治癒しません。

ただ、当事者以外からは見えづらく、分かりにくいです。


発達障害児・者もまた、誰かに十人十色の発達障害の全てが理解されることを期待しているわけではありません。ただ、社会全体が私たちそれぞれののいのちを「世界にたったひとつの花」として、あるがままに受け入れられる日本社会になれるなら、今は健常者の方も、生きやすい社会になれると思うのです。

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