当事者目線で「挨拶」の文化的行動を分析するー思春期まで
発達障害者当事者である私が文化人類学を学んだ「私」が、「挨拶」という文化的行為をどのように分析するのか、の例題を実際に解いてみましょう。
「挨拶」は、人間の住む全ての文化に何らかのカタチで存在する極めて文化的行為です。親個体に育てられる必要のある鳥類、哺乳類などの多くの種が何らかの「挨拶」行なう確率が高いようです。
身体の特定部分を擦り付ける、特定の鳴き声、泣き声をあげる、特定の動作や身振りを行う、威嚇する、ふと黙る、口を開ける、触覚で確認し合う…など色々です。
身体の特定部分を擦り付ける、特定の鳴き声、泣き声をあげる、特定の動作や身振りを行う、威嚇する、ふと黙る、口を開ける、触覚で確認し合う…など色々です。
ニホンザルのようなマカク類のサルや、私たちと同じ霊長類のチンパンジーのように、種によっては「挨拶」の文化的地域差や、種を超えた「挨拶」も存在します。
ヒトの赤ん坊は、首が座ってから人見知りをする間、顔面や前頭部分を親などの身体部分に擦り付けるような挨拶の仕草をするようです。赤ん坊を抱いた途端、ヨダレだらけになって慌てた方はどの文化に属する方でもご記憶にあるかも知れません。
ヒトの赤ん坊は、首が座ってから人見知りをする間、顔面や前頭部分を親などの身体部分に擦り付けるような挨拶の仕草をするようです。赤ん坊を抱いた途端、ヨダレだらけになって慌てた方はどの文化に属する方でもご記憶にあるかも知れません。
もしかしたら、文化を学習する前のヒトの挨拶の原点は「顔面や前頭部分のどこかを擦り付け合う」なのかも知れません。
「挨拶」は親個体に育てられ、自立するまでは「可愛らしい姿」を持つ種に多く見られます。このことから、親子関係を一時的、または長期的に保つには、個体識別を適切に行えることが前提となるようです。
親子関係の個体識別は、主に「目鼻口」の三点を結ぶ逆三角形の位置と発声(鳴き声、泣き声)、におい、触感で判断すると考えられます。ある種の直感の介在も考えられます。
その点、明らかな感覚機能ではあっても、味覚で親子関係を個体識別することはあっても稀なのではないかと推察します。もし「親子がお互いの味覚器官を用い、舐め合って個体識別する」種をご存知でしたら、お知らせ下さい。
個体識別した後に、親子兄弟関係など、個体が所属するバンド(群れ)やグループ集団が集まった「社会関係」があれば、子の個体は少しずつ自分の所属する社会のルールを学びます。
ここからはヒトに種を限定して話を進めましょう。
ヒトは、サルや霊長類と同じく「顔貌識別(目鼻口の逆三角形の位置)」、声、ニオイで親を個体識別しているようです。
胎内にいる個体も声とニオイはある程度、識別している可能性は否定出来ませんが、顔貌識別は生まれて後、視力の向上に従い徐々に行われると考えられています。
顔貌認知能力の向上、ヒトの声や周囲の音への反応学習、ニオイなどのもたらす「感じ」から、乳児は周囲との関係性を少しずつ把握して行きます。
四肢、顔面、口蓋や舌部位の筋力と脳の発達とともに、少しずつ親個体の「モノマネ」が始まります。ここからは日本人に限定して話を進めましょう。
現代の日本人の子どもだと、最初に覚えるのは左右に手を振って「バイバイ」が最初の挨拶だと思われます。親の言われるままに手を振る動作をモノマネして見せる段階です。
「バイバイ」と前後して乳児は、「こんにちは」などの大人の声掛けに対して、「人見知り」をする傾向もあります。「人見知り」は「親個体と他の個体の違いを認識した」証しだと一般に言われています。
「人見知り」時代の乳幼児は、「親個体と他の個体が何をするのか」「どんなコトバを交わすのか」乳児はそっぽを向きながらも、じっと見聞きしています。
親個体と「挨拶する」他の個体との関係性や周辺環境をヒトの子は、とても真剣かつ個性豊かに観察しているようです。
子はまず、朝昼晩などの時間帯や、関係性に見合った「挨拶」というカタチを覚えます。「おはよう」「こんにちは」などを親や教師に言われた通りに言う段階です。
同時に、他人と目があったらニコッとする、目を逸らす、睨む、泣く、騒ぐ…など「自分がそこにいるぞ!」という自己主張も始まります。
次に、保育園、幼稚園、学校などで、「目つきや表情、アドリブで仲間や教師と挨拶を交わす」ことを徐々に覚えます。いわゆる「空気読んで相手との関係性を確認」する段階です。
この辺りになると、ステレオタイプの社会行動の方が得意な発達障害児は急激に「コミュニケーション能力の欠如や著しい障害」が表面化しやすくなります。
逆に、非定型タイプの発達障害児は、何らかの対人関係のトラブル、ケンカをする、いじめに遭う、物を壊す、他人に八つ当たり行動をしても罪悪感や気まずさを感じない、などの行動障害が徐々に現れるでしょう。
小学生以降になると、「挨拶行動」はよりアドリブが多くなり、畏まってお辞儀して「おはようございます」というのは朝礼などの儀式や教師などの指示に従った時だけになる傾向があります。
結果として、発達障害児は他者との挨拶行動だけでも「クタクタに疲れ切ってしまうほどストレスが溜まる」状態になりがちです。
思春期に近づき、男子と女子の関係、先輩と後輩の関係、スクールカーストの上下関係など、複雑な関係性の中で「挨拶行動」の成長についていくだけでも、あっぷあっぷする状態になってしまうのです。
その上で、心身ともに健常児と同じく、一人の人間として成長し続けなければなりません。
発達障害児にとって、成長とは「ものすごく心身を消耗する状態」である分、必要以上に頑張り屋さんが多いのも確かです。
私の10歳の時の夢は「40歳になること」でした。発達心理学的な意味合いでの成長期はだいたい30代前までを指すようです。
その上で、社会的、文化的に適応していくにはさらに壮年期も発達障害者にとっては一種の成長期でもあると当時の私は考えたわけです。
すると、だいたい40歳ぐらいになれば成長しなければならないという重圧の時代が終わり、人間的にも、気持ちの上でも、体力的にも少しは余裕が持てるのかな、と思ったわけです。
10歳で中年になることを夢見るほど、発達障害児にとって「成長しつづけなければならない」という当たり前のことがものすごい重圧だと言えましょう。
児童期~思春期にかけて教員や児童らの無理解で、二次障害やいじめ、いじめ被害児童への教員によるハラスメントで苦しんだ世代の私としては、私たちが苦しんだ問題が再発しないよう、防止に努めていただくことは大切だと思います。
療育は確かに、この重圧を軽減してくれるとは思います。が、当事者の重圧感を取り除くことは誰にもできません。
社会適応力向上のために支援し、見守り、発達障害児それぞれの価値観と個性を生かして、子どもらしく生きる喜びや楽しさを味わえるよう、配慮することは、「無理やり健常児に迷惑をかけず、合わせられるように教え込まれて、更にストレスを加重する」ことより大切だと、私は思います。
発達障害児・者は、生まれながらに頑張り屋さんがとても多いと感じます。それだけに「そこまで頑張れるんなら、もう少し頑張って」と言わないで欲しいです。
むしろ、健常児の80%しかできていなくても、頑張り度としては120%努力している発達障害児・者に「頑張らせ過ぎない支援」をしていただくことこそ、発達障害児・者それぞれの身の丈にあった真の自立支援の道だと私は思うのです。


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