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発達障害が当事者目線で考える「障害の始まり」

以前、発達障害を指すautismは自閉症と訳されていました。 実際には、「自らを故意に閉ざしている症状」ではないので、誤訳と言えましょう。  その点、発達障害という言葉の方が現実により近いとは言え、「成長すれば、治るのではないか?」と思い込む家族や当事者がまだまだ多い上、診断名をやたら細分化させたがる医師や研究者らと、当事者との乖離感の解消はこれからの課題だと思います。  発達障害がなぜ成長期に症状が現れやすいのか、を当事者目線で考察したいと思います。  ヒトは成長段階において、哺乳類、マカクサル(ニホンザルやラングールなど)、ヒト以外の霊長類(チンパンジーやオラウータンなど)と共通する脳や神経、五感の働きをヒトなりに用いて成長します。 この時点で、乳児は困難を感じていても、「全く出来ないというわけではない」状態におかれています。 なので、発達障害があっても「どうにかして、生き延びよう」という生命力とガッツで、「自分なりの」方法で親個体の期待する社会適応方法をを探します。  ヒトは胎内にいる時点で既に、社会的、文化的存在としての期待を背負っています。胎児にもある程度は家族のあり方、周囲の環境や様子を「音や雰囲気で感じた」状態で生まれるようです。 

発達障害は、「ある細かい情報が欠如していて、全く入ってこない、またはある情報の部分が記憶から抜け落ちてしまいやすい」ことが原因で、社会、文化の学習、適応行動に過度な心身への負担がかかる状態が24時間、365日、一生涯続くため、心身に過度な負担がかかる障害だと、今の私は感じています。  例えば、私は「絵の間違い探し」がほとんど出来ません。結果、人の顔を覚えても、別な場所で出会うと同じ人と同定出来ない、自分が調理しなかった夕食に何を食べたかを食後1時間経つと思い出せない、整理整頓ができない、心身症状が起こりやすい、聴覚過敏などさまざまな障害が今もあります。 私が2〜3歳ぐらいのころ、私の中には既に親や周囲の人に観せるための自分と、内側の自分がいて、その間に分厚い透明な壁があるような感じを抱いていたことを覚えています。  いわゆる、乖離性離人障害です。 周囲に観せるための自分は泣き虫で癇癪持ちでしたが、ある意味で演技上手でした。  自分の特技である言語能力を生かすため、1歳

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